大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)1398号 判決

主文

一  被告らは各自、原告土屋清治に対し金二四六二万一五三一円及びこれに対する昭和五四年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは各自、原告土屋博治、同門田こずえに対し、各金二七万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を被告らの負担とし、その余は原告らの負担とする。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告土屋清治に対し、金四一七一万四六〇九円及びこれに対する昭和五四年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは各自、原告土屋博治及び同門田こずえに対し、それぞれ金一三七万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年九月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 原告土屋清治(以下「原告清治」という。)は、昭和三年一月一三日生れの男性である。訴外亡土屋シナ子(以下「亡シナ子」という。)は、原告清治の妻であり、原告土屋博治(以下「原告博治」という。)、同門田こずえ(以下「原告こずえ」という。)は、原告清治と亡シナ子の間の子供である。

(二) 被告国は、大阪大学医学部附属病院(以下「阪大病院」という。)の設置者であり、被告岡田孝三(以下「被告岡田」という。)及び訴外荻野洋医師(以下「荻野医師」という。)は、阪大病院整形外科に勤務する医師であり、被告国の被用者・履行補助者である。

2  手術までの経過

(一) 原告清治は、昭和五三年六月ころから右手第四、第五指に軽いしびれを覚えるようになり、特に増悪こそしないものの容易に解消しなかったので、同五四年四月一八日、阪大病院整形外科を訪れ、診察及び治療を求めた。阪大病院では、同年五月二日、原告清治を頸椎症性脊髄症と診断した。当時原告清治は、前記右手第四、第五指先端のしびれ感以外には、特に心身の異常はなく、正常に日常生活や会社勤務を続けていた。

(二) 原告清治は、同年六月一三日、荻野医師から「進行がひどくなっている。放っておいたら脳溢血の人みたいに寝たきりになるから、今のうちに手術をしなさい。心配するような手術じゃないから。」と言われ、同日手術を受けるため入院の申込みをし、約三か月後の同年九月一〇日阪大病院整形外科に入院した。その間、阪大病院の医師は、原告清治に対し、何らの保存的治療も施さなかった。

3  手術の実施及びその後の経過

(一) 原告清治は、昭和五四年九月二七日午後一時三〇分、被告岡田の執刀で以下のとおり、スミス・ロビンソン法による頸椎前方固定手術なる手術を受けた(以下「第一回手術」という。)。右手術は、原告のしびれ感が第四、第五頸椎間及び第五、第六頸椎間高位で脊椎管内に突出した骨棘による脊髄圧迫が原因であるとの判断に基づき、右骨棘を切除し、脊髄を除圧する目的で行われたものである。被告岡田は、右手術において、原告清治を手術台の上に仰臥させ、首は過伸展位をとらせた上で、同人ののどの部分をメスで切開して頸椎全面を露出させた。第四、第五頸椎間に位置する椎間板をメスで切開し、これを鋭匙等で摘出した後、右椎間をスプレッダーで開大し、さらに上下の頸椎を鋭匙やエアードリルで削り、椎体後方の椎管への視野と術域を確保した。次いで開大された椎間から鋭匙やエアードリルを椎体後方にさし込み、脊髄を圧迫し、しびれの原因を作っていると判断していた骨棘を削り取った。続いて、第五、第六頸椎についても右と同様の手術を行った。

さらに被告岡田は、原告清治の左臀部を切開し、左腸骨から頸椎間の厚さに見合った骨片二個を切取り、これらをそれぞれ第四、第五頸椎間と第五、第六頸椎間に挿入し、切開部分を縫合して手術を終えた。

(二) しかしながら、原告清治は、手術室を出て麻酔がさめてみると、右半身がことに強い四肢不全麻痺状態に陥っていた。被告岡田ら担当医師が二時間程度原告清治の経過を観察したが、右状態に改善の兆しがみられなかったため、第一回手術の結果に疑問が持たれ、執刀医を替えて直ちに再手術が行われることになった。

(三) 再手術は、阪大病院整形外科の訴外小野啓郎医師(以下「小野医師」という。)が執刀医となり、被告岡田と訴外青木医師を助手として行われた(以下「第二回手術」という。)。小野医師は、第一回手術時に切開した頸部を再び抜糸、開大し、前回挿入しておいた各骨片を取り出した上で、一部残存していた骨棘と後縦靭帯を切除、骨片を元の位置に挿入した。しかし、第二回手術後も前記四肢不全麻痺に改善はみられなかった。

(四) 原告清治は、右各手術後、同年一二月二八日までは阪大病院においてリハビリテーションを受け、その後昭和五五年一月八日から同年一一月二二日までは星ケ丘厚生年金病院、同年一一月二五日から同五六年三月三一日までは国立白浜温泉病院にそれぞれ入院してリハビリテーションを受けた。右リハビリテーションの結果、前記四肢不全麻痺はやや軽減したものの、原告清治には深刻な偏側的四肢麻痺症状が残った。

4  後遺症

原告清治は、昭和五五年八月一八日、荻野医師によって、次のとおり身体障害者等級表二級の身体障害者と認定された。

障害名  四肢不全麻痺

症状   歩行障害著しく、杖必要あり、階段昇降には介助を要す。痙性麻痺強。又、両手指巧緻性不良であり、右手指はほぼ廃用。

原告清治の後遺症は、右の程度にとどまるものではなく、肩から腰にかけての重量感、左上下肢の感覚異常、熱感や、むくみ様の症状、排尿・排便不順、性行為不能などの障害がある。

5  亡シナ子の看護・付添等

亡シナ子は、原告清治が前記障害のため自力生活能力を殆ど失ったため、阪大病院において毎日泊り込みで、夫である原告清治の看護や身のまわりの世話、あるいはリハビリテーションの付添等を余儀なくされた。亡シナ子は、原告清治が星ケ丘厚生年金病院に移ってからは通いで右同様の世話を続け、国立白浜温泉病院退院後は自宅において付ききりで原告清治の世話をしている。

そして、亡シナ子は、自身、神経症性狭心症・過換気症候群・神経循環無力症・糖尿病等の病名を有する廃疾等級三級一四号の身体障害者であり(昭和五二年認定)、肉体的、精神的苦痛は生命の危険にすらつながるという状態であったところ、原告清治の障害やその世話等による肉体的、精神的負担のため筆舌に尽くし難い苦しみを味わってきた。

6  被告岡田の過失

(一) 被告岡田は、およそ手術を担当するにあたって、大学病院勤務医に相応しい高度の注意をもってこれを行い、極力、合併症を惹起することのないようにすべき注意義務を負っている。特に原告清治に対する本件手術は、頸部脊髄周辺という身体の枢要部への侵襲を伴うものであるから、被告岡田は、脊髄損傷等の防止について最大限の注意を払うべき義務があった。

(二) にもかかわらず、被告岡田は、右義務を怠り、第一回手術中に、不適切な過伸展位の体位により原告清治の脊髄に圧迫を加え、もしくは第四・第五頸椎間、第五、第六頸椎間の後方骨棘切除に際し、鋭匙またはケリソンパンチの使用方法を誤り、後縦靭帯及び硬膜を介して脊髄を打撃または圧迫し、同原告の脊髄を第七頸髄節において損傷し、非可逆的な脊髄浮腫を発生させた結果、同原告に前述のような症状を惹起させ、後遺症を与えた。

7  被告らの責任

(一) 被告岡田の原告清治に対する不法行為責任

被告岡田は、第一回手術中の前記6の過失によって、原告清治に対し前記の症状を惹起させ、後遺症を与えたのであるから、不法行為に基づき、原告清治に生じた損害を賠償すべき責めを負う。

(二) 被告岡田の亡シナ子に対する不法行為責任

被告岡田は、前記6(一)のとおり手術を行い、原告清治の障害によって亡シナ子ら家族が健全な家庭生活を送れなくなることのないように配慮すべき義務がある。にもかかわらず、被告岡田は、前記6の過失によって原告清治に対し前記の症状を惹起させ、後遺症を与えた。これによる亡シナ子の苦しみは原告清治の死にも比肩すべきものであるから、被告岡田は、不法行為に基づき、亡シナ子に生じた損害を賠償すべき責めを負う。

(三) 被告国の原告清治に対する債務不履行責任

(1) 診療契約の締結

原告清治は、昭和五四年四月一八日、阪大病院整形外科を訪れ、被告国との間で、右手第四、第五指のしびれ感についての診療を目的とする準委任契約を締結した。

(2) 治療方法の選択を誤った債務不履行

被告国は、善良な管理者の注意義務をもって、特に大学病院としての専門的知識、豊かな経験を基礎とし、当時の医療水準に照らし、患者の病状と採用する療法の効果・危険度の調和を考え、最も適切とされる治療方法を採用すべきである。そして、頸椎症性脊髄症は、頸部脊髄という安易に観血的療法を試みるにはあまりに重要な部位の疾患である。他方、右疾患は、頸椎の退行変性を基盤として発症する病態であり、全ての場合に増悪傾向を示すものではなく、まして原告清治の症状は、右手指第四、第五指のしびれ感の存在に過ぎなかった。従って、その治療方法には、まず保存的療法として適当な牽引療法を試みるべきであり、その結果、二、三か月経過してもなお症状改善が認められず日常生活に支障を来すに至って、初めて観血的療法に踏切るべきであった。

にもかかわらず、荻野医師は、昭和五四年六月一三日原告清治に対し、何の保存的治療も施すことなく、症状が悪化しているとして手術のための入院を勧め、被告岡田は、同年九月二七日、安易に第一回手術を行ない、原告清治に前記症状を惹起させ、後遺症を与えた。

(3) 説明を尽くさなかった債務不履行

治療行為としての医的侵襲は、患者の生命・健康に対する危険を伴うものであるから、患者は、自己の症状及び右侵襲による治療効果と、右侵襲の危険性とを比較し、その治療行為を実施するか否かを選択する自由を有する。従って、被告国は、医師を通じて右判断に必要十分な情報を提供した上で、その承諾の下に当該治療行為(本件においては手術)を行なうべきである。

ところで、原告清治の病状は全く緊急を要するものではなく、他方、脊椎前方固定術という治療方法は、常に脊髄損傷等の危険を孕んでおり、また必ずしも著効を得られるとは限らず、不変もしくは悪化例もあるのであるから、被告国は、このことを十分原告清治に説明した上、その承諾の下に右手術を行なうべきであった。

にもかかわらず、荻野医師は、前記のとおり予定されている手術の重大さを否定し、かえって不安感をあおり原告清治の正常な判断を不可能にしてしまった。また、被告岡田は、手術を行なうのは既定の方針であるかのような態度で原告清治に接し、手術の要否・内容・成功率・危険性等について、同原告に一切説明しなかった。よって、第一、第二回手術は、診療契約に反する違法な侵襲である。

(4) 脊髄を損傷した債務不履行

被告岡田は、前記6(一)のような注意義務をもって手術を行なう義務を有するにもかかわらず、その過誤によって、原告清治の脊髄を損傷し、同原告に前記の症状を惹起させ、後遺症を与えた。

(5) 被告国の責任

これらは、いずれも被告国の履行補助者である被告岡田、あるいは荻野医師が、被告国の前記診療契約による債務の履行としてなしたものであり、被告国は、右債務不履行による損害を賠償する責めを負う。

(四) 被告国の原告清治に対する使用者責任

(1) 請求原因7(一)のとおり。

(2) 右不法行為は、被告国の事業の執行につきなされたものであり、被告国は、民法七一五条に基づき損害を賠償する責めを負う。

(五) 被告国の亡シナ子に対する使用者責任

(1) 請求原因7(二)のとおり。

(2) 請求原因7(四)のとおり。

8  原告らの損害 金三五四二万二三七二円

(一) 原告清治

(1) 逸失利益 金一七三五万九三七二円

原告清治は、昭和五五年、五一歳で退職を余儀なくされたものであるところ、右金額は、当時の年収二四七万八〇〇〇円から障害年金の年間受給額金九七万三二〇〇円を差引いた金額に、五一歳の就労可能年数一六についての新ホフマン係数一一・五三六を乗じた金額である。

(2) 付添費 金一八万六〇〇〇円

昭和五四年一〇月二八日から同年一二月二八日までの六二日間について、一日金三〇〇〇円の割合で算出。

(3) 入院雑費 金六万二〇〇〇円

右(2)と同期間中、一日金一〇〇〇円の割合で算出。

(4) 証拠保全の費用 金一〇万円

(5) 慰謝料 金一七七一万五〇〇〇円

入院慰謝料 金二七一万五〇〇〇円

後遺症慰謝料 金一五〇〇万円

(二) 亡シナ子 金五〇〇万円

慰謝料 金五〇〇万円

(三) 弁護士費用 金四〇四万二二七三円

原告清治及び亡シナ子は、原告訴訟代理人に対し、本件訴訟追行を依頼し、原告清治は金三五四万二二三七円、亡シナ子は金五〇万円を支払う旨約束した。

9  亡シナ子の損害賠償請求権の相続

亡シナ子は、昭和六〇年一〇月二一日死亡し、原告清治及び同博治、同こずえが、亡シナ子の被告らに対する損害賠償請求権を、それぞれ法定相続分に応じて(原告清治が二分の一 同博治、同こずえが各四分の一)相続した。

10  よって、被告国に対しては債務不履行もしくは使用者責任による損害賠償請求権に基づき、被告岡田に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告清治は金四一七一万四六〇九円、同博治及び同こずえは各金一三七万五〇〇〇円及び右各金員に対する本件医療過誤発生の日である昭和五四年九月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2(一)  同2(一)のうち、原告清治の症状が特に増悪しないとの点、同原告に右手指のしびれ感以外に特に心身の異常はなく、正常に日常生活、会社勤務を続けていたとの点は否認し、その余は認める。原告清治には、右手指のしびれ感以外にも、歩容異常、頻尿等の痙性麻痺症状があった。また、原告清治の症状は、同年六月一三日の診察時には痙性による歩行障害、階段昇降の不安定、ボタンの着脱不自由、煙草を落とす、書字困難等の手指巧緻性の低下が認められ、阪大病院入院後の同年九月二〇日の検査時においても歩行のふらつき、片脚起立は右側不能、左側困難と認められるなど、明らかに悪化の傾向が認められる。

(二)  同2(二)のうち、原告清治が主張のとおり荻野医師の診察を受けたこと、同日入院の申込みをし、主張の日に阪大病院整形外科に入院したことは認め、その余は否認する。荻野医師は、原告清治に対し入院の上、脊髄造影・CT撮影等の検査の後、結果によっては手術による治療が必要であることを説明し、同原告はこれに納得した上で入院申込みをしたのである。

3(一)  同3(一)のうち、被告岡田が、原告清治の首に過伸展位をとらせたとの点、開大された椎間から鋭匙やエアードリルを椎体後方にさし込み、骨棘を削り取ったとの点は否認し、その余は認める。被告岡田は、スプレダーで開大し、エアードリルで上下の椎体終板を削除し、骨棘を薄くした後に鋭匙及びパンチで両側椎管孔まで骨棘を切除したものである。

(二)  同3(二)(三)のうち、原告清治の右半身が強い四肢不全麻痺に陥ったとの点及び第二回手術後も四肢不全麻痺に改善がみられなかったとの点は否認し、その余は認める。原告清治の症状は、第一回手術後一時的に悪化し、同原告は右上下肢の不全麻痺に陥ったが、右症状は、原告らの主張するような強度のものではない。第一回手術後右上下肢の回復が悪く、腰椎穿刺による髄液検査の結果、クエッケンスタット現象で通過障害が認められたため第二回手術が行なわれた。

(四) 同3(四)のうち、原告清治が、主張のとおり阪大病院に入院したままリハビリテーションを受け、その後星ケ丘厚生年金病院及び国立白浜温泉病院に主張の期間それぞれ入院してリハビテーションを受けたことは認めるが、その余は否認する。原告清治の右上下肢は手術翌日から徐々に回復している。阪大病院退院時における原告清治の上肢の運動機能は、右手でスプーンを用いて食事可能、箸で粘土の保持可能、下肢の運動機能は、一本杖で歩行可能、階段も昇降可能であり、退院時右握力は九キログラムであった。また、左上下肢は手術後から日常生活に支障を来すような麻痺はなかった。

4  同4のうち、原告清治が主張のとおり二級の身体障害者と認定されたことは認めるが、障害の部位や程度等は争う。また、原告清治のむくみは本件と関係ない原因によって発生することもあり、排尿障害・性行為不能等も全てが術後に発生したものではない。

なお、現在の原告清治の病態は、足取りの安定性、その速さ、下腿装具を用いないで足先を容易に挙上し歩行できること、右手で杖をつくことができるなどの回復をみている。このことは、原告清治の脊髄障害が一時的で、かつ軽くなってきていることを意味し、将来さらに軽くなる可能性もある。

5  同5のうち、亡シナ子が、原告清治の阪大病院入院中、家族として在院していたことは認め、その余は知らない。阪大病院では基準看護を実施しており、原則として家族が看護することはできない。

6(一)  同6(一)は認める。

(二)  同6(二)は否認する。被告岡田は、細心の注意を払って手術操作を行なっており、直接的に脊髄の損傷を与えた事実は全くない。また、手術時の原告清治の首の体位もやや伸展位であって、過伸展位ではなく、何ら責められるべき点はない。原告清治の第一回手術後の一時的な症状悪化の原因は、手術侵襲に伴って術前から障害され易損性の高い状態にあった脊髄に何らかの循環動態の異常が生じ脊髄浮腫が合併し、ことに右上下肢の運動機能をつかさどる錐体路に悪影響が出現したことによるものである。従って、右症状悪化は被告岡田の責めに帰すべき事由によって発生したものとはいえない。そして、前述のとおり原告清治の症状悪化は一時的で著しく回復している。すなわち、原告清治の症状は、脊髄損傷といった非可逆的な損傷によるものでなく、脊髄症が一時悪化したものである。

7(1) 同7(一)は争う。

(二) 同7(二)に対する認否のうち、過失に関する点は同6(一)(二)に対する認否のとおり。原告清治の症状は到底死亡と同視しうるほど重症のものではなく、従って亡シナ子の苦しみは配偶者が死亡した場合と同視しうるほどのものではない。

(三)(1) 同7(三)(1)は認める。但し、原告の主訴は他にもあった。

(2) 同(2)のうち、頸椎症性脊髄症は重要な部位の疾患であること、原告清治が昭和五八年六月一三日荻野医師の診察を受け、同日手術のため入院申込をしたこと、被告岡田が同年九月二七日第一回手術をしたことは認め、その余は否認する。被告岡田は、同年五月二日、原告清治に対し、近医の国里病院で温熱療法・牽引療法等の保存的治療を受けるよう指示し、紹介状も交付していたが、原告清治はこの指示に従わなかった。また、被告岡田らは、同年九月一七日の整形外科症例検討会において原告清治の症状について検討した。その結果、原告清治の前記症状悪化、神経学的所見、単純レントゲン撮影・CT撮影・脊髄造影等の諸検査結果から、同原告の症状は骨棘による脊髄圧迫から脊髄症を呈しているもので、保存的療法による軽快は期待できず手術的療法を採用するほかないとの結論に達し、被告岡田は右判断に従って第一回手術に臨んだものである。

(3) 同(3)のうち、頸椎前方固定術という治療方法が脊髄損傷等の危険を孕んでおり、また必ずしも著効を得られるとは限らず、不変もしくは悪化例もあることは認め、その余は否認する。被告岡田らは、手術前に原告清治に対し手術の必要性、内容等について説明している。

(4) 同(4)は否認する。第一回手術における被告岡田の手技に問題のなかったことは請求原因6(二)に対する認否とおりである。

(5) 同(5)のうち、被告岡田及び荻野医師が、被告国の履行補助者として原告清治の診療に当たったことは認めるが、その余は争う。

(四)(1) 同7(四)(1)は争う。

(2) 同(2)のうち、被告岡田の第一回手術が、被告国の事業の執行として行なわれたことは認めるが、その余は争う。

(五) 同7(五)(1)(2)に対する認否は同7(二)(四)に対する認否のとおり。

8(一)(1) 同8(一)(1)のうち、逸失利益の計算の根拠及び額は知らない。その余は争う。

(2) 同(2)は否認する。阪大病院は前述のとおり基準看護を実施しており、付添を必要としない。

(3) 同(3)のうち、期間は知らない。額は争う。

(4) 同(4)のうち、因果関係は争う。

(5) 同(5)は否認する。

(二) 同8(二)は否認する。

(三) 同8(三)は知らない。

9  同9のうち、亡シナ子が原告ら主張の日に死亡し、相続が開始したこと、原告らの相続分がその主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因1(当事者等)の事実は当事者間に争いがない。

二  同2(手術までの経過)の事実については、原告清治が昭和五三年六月ころから右手第四、第五指に軽いしびれを覚えるようになり容易に解消しなかったため、同五四年四月一八日阪大病院整形外科を訪れ診療及び治療を求めたこと、阪大病院では同年五月二日原告清治を頸椎症性脊髄症と診断したこと、原告清治が同年六月一三日荻野医師の診察を受け、同日阪大病院に入院申込みをし、同年九月一〇日阪大病院に入院したことは当事者間に争いがなく、右争いない事実、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ〈る〉。

1  原告清治は、昭和四九年九月一八日から訴外熊谷興業株式会社に玉掛工として勤務していたものであるが、昭和五三年六月ころから右手第四、第五指に軽いしびれを覚えるようになり、右しびれは容易に解消しなかった。そのため原告清治は同五四年四月一八日、阪大病院を訪れ診療を求めた。

2  原告清治は、昭和五四年五月二日再び阪大病院を訪れ、被告岡田の診察を受けた。この時点における原告清治の症状は、歩行障害は認められず、頻尿は明らかでなかったが、ボタンかけが不自由等の手指巧緻性低下がみられた。被告岡田は、原告清治に対しレントゲン検査を行ない、第四、第五頸椎間、第五、第六頸椎間に著明な骨棘を認め、右骨棘が脊髄を圧迫して原告清治の右手第四、第五指のしびれを引起こしていると判断し、頸椎症性脊髄症と診断した。その上で、被告岡田は、原告清治に対し、二種の消炎剤を投薬し、牽引療法を受けるよう指示するとともに訴外国里病院への紹介状を交付したが、同原告は、右病院が通勤経路上不便な場所にあるため、結局、同院に通院しなかった。

3  原告清治は、同年六月一三日荻野医師の診察を受け、阪大病院への入院を勧められた。この時点における原告清治の症状は、歩行障害(痙性歩行)、階段昇降の不安定、手指の巧緻性低下、頻尿等が認められた。

4  原告清治は、同年九月一〇日阪大病院に入院したが、右入院の前々日まで堺市所在の熊谷興業株式会社堺営業所に出勤して、正常に勤務していた。右入院時点における原告清治の症状は、右手第四、第五指のしびれ感のほか、頻尿、軽度の歩行困難、階段昇降はゆっくりであれば可能であり、腱反射は亢進、左右両足にクローヌスが発生している。

5  原告清治の手術直前の症状は、右手第四、第五指のしびれ感のほか、歩容の異常(やや痙性気味、ふらつくことあり)、頻尿、片脚起立は左側困難、右側不能、手指の巧緻性低下等が窺われたほか、腱反射は亢進、ホフマン、ワルテンベルク等病的反射が認められ、左右両足にクローヌスが認められた。しかし、右認定事実以外に特に取り立てていうほどの症状はなく、徒手筋力テストによれば筋力は上下肢とも全て5(正常)、握力は右手三六・五キログラム、左手四〇・〇キログラムであり、排尿・排便障害も存在せず、同年九月一三日には高石市所在の訴外今西病院まで一人でCT検査を受けに行く等日常生活に殆ど支障はなかった。

三  請求原因3(手術の実施及びその後の経過)のうち、(一)の事実については、被告岡田が、第一回手術の際、原告清治の首に過伸展位をとらせたこと、開大された椎間から鋭匙やエアードリルを椎体後方にさし込み骨棘を削り取ったことを除き、当事者間に争いがない。同(二)(三)の事実については、原告清治が、特に右側が強い四肢不全麻痺に陥ったこと、第二回手術後も四肢不全麻痺に改善がみられなかったことを除いて当事者間に争いがない。同(四)の事実については、原告清治が星ケ丘厚生年金病院及び国立白浜温泉病院に原告ら主張の期間それぞれ入院し、リハビリテーションを受けたことは当事者に争いがない。右争いのない事実、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  被告岡田は、訴外米延医師、同青木医師を助手として昭和五四年九月二七日、以下の要領で原告清治に対し、スミス・ロビンソン法に依拠した前方除圧(骨棘の切除)と骨移植術を内容とする第一回手術を施行した。

(一)  被告岡田は、原告清治に対し、頸椎にやや伸展位の体位をとらせ、午後零時四五分挿管しGO-NLAによって麻酔を施した。

(二)  被告岡田は、午後一時三〇分に手術を開始し、輪状軟骨の高さで右頸部に横切開を加え、椎体前面を露出し、クロワード開創器で術野を展開したうえ頸長筋を止血しながら電気メスによって正中で切開した。そして椎間板に針を刺しウログラフィンを注入してレントゲンを撮り、椎体の位置を確認した。

(三)  被告岡田は、脊髄症の主原因と考えられる第四、第五椎間の椎間板のところをメスで切開し、鋭匙・脳下垂体用錐子で椎間板を摘出した。

(四)  被告岡田は、ラミナスプレダーで椎間を開大して脊髄を圧迫する骨棘の存在を確認し、第四、五椎間の椎体の下面及び上面を鋭匙・エアードリルで削って輪骨下骨を露出し、その後骨棘を鋭匙・エアードリルで削り取り、後縦靭帯を露出させておいた。さらに被告岡田は、第五・第六椎間においても同様の手術操作を行なった。

(五)  次に、被告岡田は、左腸骨稜に沿って皮切を加え、椎間の厚さに見合って腸骨の馬蹄型骨片をノミで採取し、その骨片の周辺を骨切錐子で削って適度の大きさにしたうえ、これを第四、第五椎間、第五、第六椎間に順次挿入し、縫合して手術を終えた。手術終了は午後四時四〇分、抜管は午後四時五五分であった。

2  原告清治は、第一回手術後、四肢不全麻痺に陥った。特に右側の三頭筋以下の筋力低下が顕著であり、回復室で麻酔の効果が切れるのを待ちつつ約一時間半ぐらい様子をみたが回復しなかった。第一回手術直後の右半身の筋力検査によると、上肢二頭筋4+、上肢三頭筋2、手指固有筋0、右下肢前脛骨筋2-といった状態であった。なお、ワルテンベルクやホフマンの病的反射は認められなかった。小野医師や被告岡田らは、レントゲンにより移植した骨片が脱転していないことを確かめたのち、原告清治に対し腰椎穿刺による髄液検査をし、脊髄と硬膜の間を流れる髄液の通過障害の有無を調べたところ、髄液は白色透明、クエッケンステット現象は陽性で通過障害が認められた。そこで、小野医師らは、脊髄に対する圧迫がなお残存しており、その原因としては(1)脊髄ないしこれを取り囲む環境の血腫、(2)一部取り残した骨棘又は後縦靭帯、あるいは(3)脱転した移植骨片等、就中、前二者の圧迫によるものではないかと考え、小野医師が執刀医となり、被告岡田、青木医師を助手として、右圧迫の原因を除去するため、以下の要領で第二回手術を施行した。

3(一)  小野医師は、原告清治に対し、頸椎にやや伸展位の体位をとらせ、午後六時二〇分挿管しGO-NLAによって麻酔を施した。

(二)  小野医師は、午後六時四五分に手術を開始し、頸部の創部を開き、クロワード開創器をかけたうえ、スプレダーで第四、第五椎間、第五、第六椎間を開き、そこにはめこまれた移植骨片を取り出した。

(三)  さらに小野医師は、神経へらで剥離して、右各椎間に存する取り残した骨棘を鋭匙・ロンジュール・ケリソンパンチで取った。また、神経へらでさぐりつつ、第五、第六椎間に残存する繊維輪及び後縦靭帯をも除去した。その際青木医師は、第四、第五頸椎間付近の後縦靭帯と思われる部位に直径五ミリメートルほどの穴があいているのを認めた。

(四)  小野医師は、先に取り出した移植骨片を少し削って再度元の各椎間にはめ込み、縫合して手術を終えた。手術終了は午後八時三〇分、抜管は午後八時四三分であった。

4  原告清治の症状は、第二回手術後も回復しなかった。同年九月二七日午後九時ころにおける原告清治の状態は、意識、右上下肢の知覚には異常が認められなかったものの、右上肢の筋力は二頭筋3、三頭筋1(+)ないし2、手指固有筋0、右下肢の筋力はすべて0であり、右上下肢の主な筋力は手指固有筋を除きいずれも第一回手術直後より低下していた。同年一〇月一日における原告清治の状態は、阪大病院リハビリテーション部の訴外武富理学療法士の検査によれば日常生活動作については会話を除いて全介助を要する状態であった。また、原告清治は、同年九月二七日以降前記筋力低下以外にも、直腸障害・膀胱障害・閉尿・失便等に悩まされた。原告清治は、第二回手術後、阪大病院を退院する昭和五四年一二月二八日まで同病院において治療及びリハビリテーションを受けた。その結果、後記六2(四)認定のとおり若干の症状回復がみられたものの、阪大病院退院前後の原告清治の状態は、頸部はカラーを装着して固定し、上肢の運動機能は、右手でスプーンを用いれば不自由ながら食事可能、箸で粘土の保持可能、握力は右手九キログラム、左手二五キログラム、下肢の運動機能は、努力をすれば一本杖で一〇〇メートル前後は歩行可能、介助があれば階段昇降可能、性行為不能、さらに排尿・排便障害ありという状態であった。

5  原告清治は、阪大病院退院後も、昭和五五年一月八日から同年一一月二二日までは星ケ丘厚生年金病院、同年一一月二五日から同五六年三月三一日までは国立白浜温泉病院においてそれぞれリハビリテーションを受けた。また原告清治は、右星ケ丘厚生年金病院入院中の昭和五五年七月二一日、膀胱障害による排尿困難のため経尿道的尿道頸部切除の手術を受けている。

四  請求原因4(後遺症)の事実については、原告清治が、昭和五五年八月一八日、荻野医師によって、障害名、四肢不全麻痺、症状、歩行障害著しく杖必要、階段昇降に介助必要、痙性麻痺強、両手指巧緻性不良にして右手指はほぼ廃用として、身体障害者等級表二級の身体障害者と認定されたことは当事者に争いがない。右争いのない事実、既に認定した事実、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、原告清治の現在の主な後遺障害は以下のとおりであり、後遺症認定後上下肢の運動機能が若干改善をみたとはいえ、それ以上の症状の回復は殆ど期待し難いものであることが認められ〈る〉。

1  四肢に痙性が残存し、何とか自力で基本的な身の回りの事はできるものの、歩行能力は不安定性が強く、杖を使用し介助を付ければ近い距離であれば歩行できるものの、その歩行は左足の痛みをこらえて右足を引きずりながらのもので長距離の歩行等はほぼ不可能であり、階段昇降についても介助(手すり)があれば何とか可能という状態である。

2  右手については痙性が強度であり、かつ筋力の回復も不十分であるため、書字・書画、あるいは食事等についても相当の不自由を覚えており、左手についても巧緻性は不良である。

3  排尿・排便が不自由である。

4  性行為についても第一回手術後から不可能となった。

五  請求原因5(亡シナ子の看護・付添等)の事実については、亡シナ子が原告清治の家族として阪大病院に在院していたことについては当事者間に争いがなく、右争いのない事実、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、亡シナ子は、昭和五四年九月二七日から約五週間ほどは阪大病院に寝泊りし、同年一〇月二八日から原告清治が退院する同年一二月二八日までは毎日通院して同人の付添看護をしたこと、原告清治の星ケ丘厚生年金病院入院日である同五五年一月八日から右退院の日である同年一一月二二日までは、亡シナ子自身が肝硬変及び糖尿病のため病院に入院していた期間等を除いてほぼ毎日通院し、原告清治の付添看護を行なっていたこと、さらに、原告清治が国立白浜温泉病院退院後は、自宅において同人の付添看護をしたこと、亡シナ子自身が、昭和五二年神経症性狭心症・過換気症候群・神経循環無力症・糖尿病の病名を有する廃疾等級三級一四号の身体障害者に認定されたこと、そのため亡シナ子は、原告清治の障害及びその看護のため強度の精神的、肉体的苦痛を被ったことが認められ、その余の原告らの主張事実についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

六  請求原因6(被告岡田の過失)について判断する。

請求原因6(一)については当事者間に争いがない。

そこで、同6(二)について検討するに、既に認定した事実、〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合考慮すれば、原告清治の第一回手術後の症状の悪化及びこれに引続く現在の後遺障害が第一回手術の際に生じた何らかの原因によるものであることは明らかである。

1  そこで、右症状の原因について考察するに、既に認定した事実、前掲各証拠及び弁論の全趣旨により認められる以下の各点〈証拠判断〉を総合すれば、原告清治の第一回手術後の症状悪化、これに引続く現在の後遺障害は、被告岡田の第一回手術中の何らかの過失による脊髄損傷に起因するものと認めるのが相当である。

(一)  原告清治の第一回手術後の症状悪化は急激かつ重大なものであり、また、その後現在に至るまでの症状は既に認定したとおり重篤なものであって、原告清治の特異体質あるいは不可抗力等右事実に対する説得的な原因の認められない限り、手術に何らの過誤もないとすることは不自然である。

(二)  原告清治の症状の原因として考えられるもののうち、手術中の体位(特に頸椎付近)あるいは全身管理のあり方に別段問題はみられなかった。

(三)  第一回手術直後のクエッケンステット現象が陽性でクモ膜下腔に通過障害が認められ、これは脊髄に浮腫の発生したことを推認させる。

(四)  第一回手術後髄液の漏出が認められ、硬膜に何らかの損傷が生じた疑いが濃厚である。

(五)  第一回手術の内容は、既に認定したとおり脊髄間近において脊髄を圧迫している骨棘を除去するという常に脊髄損傷の危険を孕んだもので、現に第二回手術において第四、第五頸椎間付近の後縦靭帯と思われる部位に直径五ミリメートルの損傷部位のあったことが認められ、第一回手術においてもその手技が硬膜付近に及んだこと、第一回手術前における原告清治の脊髄は、骨棘のため圧迫されて偏平になっており、後縦靭帯と硬膜は間隙なく密着していたことが認められる。

(六)  脊髄損傷には、尿排泄障害、排糞便・腸管障害、腱反射脱失、性機能喪失等の症状を伴うのが通例であるところ、原告清治は、第一回手術後、阪大病院入院中から現在に至るまで排尿・排便障害、性機能喪失を覚え、阪大病院入院中には直腸障害、失便に悩まされており、また第一回手術後である昭和五四年九月二七日から同月二八日にかけて原告清治の右上下肢の腱反射が低下したことが認められる。

2  これに対し、被告らは、被告岡田の手術には何ら過失はなく、原告清治の第一回手術の症状悪化の原因は、手術侵襲に伴って術前から障害され易損性の高い状態にあった脊髄に何らかの循環動態の異常が生じ脊髄浮腫が合併し、ことに右上下肢の運動機能をつかさどる錐体路に悪影響が出現したことによるものであると主張する(以下、被告ら主張の原告清治の症状悪化の機序をまとめて「循環動態の変化」という。)。

この点について〈証拠〉は、「時には、手術前の長期間にわたる圧迫状況に適応して辛うじて維持されていた代償血流路が急激な環境の変化(手術侵襲)によってかえって阻害され、脊髄に一時的な静脈血環流の障害(うっ血)が加重される事態が起こり得、局所のうっ血は組織の浮腫を来すこととなる。手術の経過が順調であっても術後に症状の落ちこみが見られることが必ずしも稀ではなく、これは椎弓切除術に多いが、前方手術においても頻度は少ないながら経験されるものである。このような症状の落ちこみは、血流障害の影響を受けやすい脊髄の変性が高度な部位、すなわち術前症状の強い部位に起こりやすい。通常はこれは一過性であるが、時には脊髄障害が非可逆的な程度にまで進行し、回復してもなお手術前の程度に達しない場合も起こり得る。本件の場合に、この機転による症状の悪化は起こり得る可能性は存在したと考えられる。」旨述べており、〈証拠〉は、右主張に沿う証言、供述をしている。そして、右主張の根拠となるべき事実として、既に認定した事実、前記六冒頭の各証拠及び弁論の全趣旨により以下の各点が認められる。

(一)  第一回手術直後の髄液検査の結果、髄液が水様で血性ではなく、従ってクモ膜下腔に出血を伴っていないものと推認しうる。

(二)  第一回手術後、原告清治に髄液の漏出が認められたものの、その量は大量ではなかった。

(三)  原告清治の症状悪化は、右半身に特に顕著であり、脊髄損傷の症状としては珍しいもので、また症状自体も位置覚脱失等を伴っていない。

(四)  原告清治の症状は、既に認定したとおり第一回手術前においても一定の痙性症状を示し、他方、症状悪化後には以下のとおりの回復を示している。

(1) 原告清治の筋力は、第一回手術の翌日である昭和五四年九月二八日のうちに以下の程度まで回復した。すなわち、右上肢については二頭筋4、三頭筋2、手指固有筋0、長母指伸筋2(-)、握力零キログラム、右下肢については腸腰筋3(-)、四頭筋3(-)、前脛骨筋1ないし0、腓腹筋3、長[1]趾伸筋3(-)、長[1]趾屈筋2、足趾伸筋2、足趾屈筋2(-)、左上肢については二頭筋、三頭筋ともに5、握力二四キログラム、左下肢については前記各筋とも全て5であった。

(2) その後、原告清治の症状、特に筋力あるいは排尿・排便の状況は一進一退を繰り返しながらも、右半身の筋力は、昭和五四年一〇月の終わりころには以下の程度にまで回復した。上肢については二頭筋4(+)、三頭筋4(+)、長母指伸筋3、長母指屈筋3(+)、手指伸筋3、手指屈筋3、母指は第二ないし第四指までと対立可能、下肢については四頭筋4(+)、膝腱3(+)、前脛骨筋3(-)、腓腹筋4(+)、長[1]趾伸筋3、長[1]趾屈筋3(+)、足趾伸筋2(+)、足趾屈筋3(+)。

(3) 原告清治は、同年一一月一日には、カラー装着によって頸部を固定し、ベッドを三〇度傾斜させ上体を起こすことができるようになった。また同月五日には、右手握力は二キログラム、左手握力は一五キログラムであり、同日、リハビリテーションとして斜面台で立位訓練を開始した。同月一九日には、立位訓練、足踏み訓練を行ない、また右手でスプーンを使って食事をすることが可能になったが、未だ起立は不能であった。同月二八日には、平行棒を使った歩行訓練、坐位からの起立訓練、手の機能訓練、箸の使用等のリハビリテーションを行ない、膝折れがあるも平行棒で六往復可能になったが、リハビリテーション後腰痛を訴えた。

(4) 原告清治は、同年一二月一三日には、歩行器による歩行、箸で粘土をつかむことが可能となった。

(5) 原告清治は、同月一八日には、努力すれば一本杖で一〇〇メートル程度歩行可能、介助があれば階段昇降可能となった。

(五)  第二回手術において、第一回手術中に何らかの過誤があったことを示す痕跡は認められなかった。

3  そこで、被告ら主張にかかる循環動態の変化の主張について検討するに、その根拠となるべき事実として前記2認定の各点が存在するとしても、以下の各点をも総合考慮すれば、原告清治の第一回手術後の症状悪化及び現在の症状が循環動態の変化によるものであるとは考え難く、従って前記1認定の事実を覆すものではない。

(一)  前掲各証拠〈証拠判例〉によれば、循環動態の変化は、原則として重大な悪化をもたらすものではなく、また発生した悪化も原則として一過性のもので、数日もしくは数週間で術前の状態に回復し、手術自体が適切に施行されたものであればさらに術前の状態以上に回復するものであると考えられていることが認められるところ、原告清治の第一回手術後の症状悪化及び現在の症状は既に認定したとおり決して軽度のものではなく、確かに同原告の症状には数字上一定程度の回復が認められはするものの、前記四認定のとおり基本的な症状の点においては顕著な回復をみないまま第一回手術から約一〇年を経過しており、これらを全体として評価するならば非可逆的な損傷によって右症状が惹起されたものと考えるのが相当であること、また、脊髄損傷の場合であっても位置覚脱失等の顕著に現れない症例も存在することが認められること、さらに原告清治の手術前の症状と、手術後のそれとの間には、既に認定したとおり重大な相違が存在することが認められる。

なお、被告らは、脊髄症の手術後の観察診療は一〇年程度の長期にわたることは常識である旨主張するが、原告清治の現在の症状は第一回手術後に初めて発生したもので、手術前の症状と連続性を有しないものであることは既に認定したとおりであり、このことを考慮すれば右主張を採用することはできない。

(二)  前同各証拠によれば、循環動態の変化という事象は、それ自体確立した所見と考えられているわけではなく、原告清治の症状のような機序の解明し難い事態を説明するための一つの可能的な見解であるということができ、阪大病院においても、原告清治の症状悪化を目の当たりにした被告岡田や小野医師等が、中心性脊髄障害等の諸々の可能性を検討した結果、はっきりしないものとして循環動態の変化が原因ではないかと考えたに過ぎないことが認められる。

(三)  〈証拠〉によれば、第一回手術直後の髄液検査の結果髄液が血性でなく、また大量の髄液流出が認められなかったとしても、これによって脊髄に対し機械的(物理的)損傷の起こった場合の可能性までも否定されるものではなく、また第二回手術で展開された視野の範囲内に異常な所見が認められなかったとしても、それだけで第一回手術における機械的な脊髄損傷の可能性を否定するものではないと認められる。

(四)  〈証拠〉によれば、循環動態の変化による症状が右半身に顕著に認められることは稀であると認められる。他方、〈証拠〉によれば、脊髄損傷による症状が損傷部位に応じ身体の片側に強度に現れる事例のあることが認められる。

なお、〈証拠〉は、前記のとおり原告清治の第一回手術後の症状及び現在の症状の原因について循環動態の変化を採用するかのようであるが、反面、鈍的な脊髄損傷の可能性を全く否定しているわけではない。〈証拠〉は、可能性としては循環動態の変化が原因である可能性が高いとし、その理由として原告清治の症状悪化が比較的軽度で早期の回復を示していることを挙げる一方、前記循環動態の変化を採用する場合の難点にも触れており、結局、結論の明言を避けているものと解するべきである。従って、右〈証拠〉をもって前記1認定を左右するには足りない。また、同〈証拠〉は、当時の医療水準、医学的知識に照らして考えると、脊髄障害の発生に関して医療施設、手術施行者の一般的技量、術前措置、術中の患者管理、手術経過、術後の対応等について、大きく欠けるところがあったとは考え難いとして、第一回手術について過失を否定するようであるが、その理由の大半は一般論を述べたものであり、具体的な過失の存否についての前記認定判断に影響を及ぼすものとはいい難い。

七  請求原因7(被告らの責任)について判断するに、被告岡田は前記六認定のとおり、第一回手術における過失により原告清治に前記三、四認定の損傷を与えたものであり、また被告国は、被告岡田の使用者であること及び右岡田の不法行為は被告国の事業の執行につきなされたものであることは当事者間に争いがないから、その余の点について判断するまでもなく、後記八認定の損害について被告岡田は民法七〇九条、被告国は民法七一五条に基づいてそれぞれ損害賠償責任を負う。

八  請求原因8(原告らの損害)について判断する。

1  原告清治の損害

(一)  逸失利益

〈証拠〉によれば、原告清治の第一回手術前の年収は金二四七万八〇〇〇円であると認められる。そして、前記四認定の原告清治の身体に生じた後遺障害を総合すれば、右障害による原告清治の労働能力喪失の割合は八〇パーセントと認めるのが相当である。

そこで、原告清治の逸失利益を算定するに、右認定の金二四七万八〇〇〇円に原告清治の労働能力喪失割合である八〇パーセントを乗じ、さらに原告清治の障害年金年間受給額である金九七万三二〇〇円を控除したものに、原告清治の症状固定時である昭和五五年八月一八日当時の原告清治の年齢五一歳の就労可能年数一六についての新ホフマン係数一一・五三六を乗じた金一一六四万二一三一円が、原告清治の逸失利益となる。

(二)  付添看護費

亡シナ子が、原告清治の阪大病院入院期間のうち第一回手術の後である昭和五四年一〇月二八日から退院の日である同年一二月二八日まで六二日間、その付添看護を行なっていたことは既に認定したとおりであり、右付添看護費としては、原告清治の当時の症状等諸般の事情を考慮すれば日額金三〇〇〇円が相当であり、従って右期間の合計額は金一八万六〇〇〇円となる。

(三)  入院雑費

原告清治が昭和五四年一〇月二八日から同年一二月二八日まで六二日間、阪大病院に入院していたことは当事者間に争いがなく、右入院期間中に要した諸雑費の額としては日額金七〇〇円が相当であり、従って右期間の合計額は金四万三四〇〇円となる。

(四)  証拠保全の費用

原告らの主張する証拠保全の費用とは何をさすものかは必ずしも明らかでないが、本来の証拠保全手続費用は訴訟費用の一部となるものであり、その他に要した費用があるとしても、右の点について何ら主張・立証はないから、その余の点について判断するまでもなく原告の主張は理由がない。

(五)  慰謝料

既に認定した原告清治の入院状況、後遺障害の程度、第一回手術前の症状、その他諸般の事情を斟酌すれば、原告清治の精神的損害を慰謝するためには、入院慰謝料としては金二〇〇万円、後遺障害慰謝料は金八〇〇万円をもって、それぞれ相当と認める。

2  亡シナ子の損害

亡シナ子と原告清治が夫婦であり、その間に二子を儲けたこと、原告清治が昭和三年一一月一三日生れであることは当事者間に争いがなく、亡シナ子が昭和四年八月二日生れであることは当裁判所に顕著な事実であるところ、既に認定したとおり、原告清治は第一回手術上の過誤のため性交能力を喪失し、妻であった亡シナ子との夫婦としての性生活を営むことが不可能になったことが認められる。そして、右性交能力喪失及び既に認定した原告清治のその他の症状を総合すれば、亡シナ子は原告清治の死にも比肩すべき耐え難い精神的苦痛を受けたものと推認され、右苦痛は前記判示した原告清治に対する慰謝料によって償い切れない亡シナ子固有の損害と解するべきであり、原告清治及び亡シナ子の年齢、亡シナ子の死亡等諸般の事情を合わせ考慮すると、右シナ子の精神的苦痛を慰謝するためには金一〇〇万円をもって相当と認める。

3  弁護士費用

原告清治及び亡シナ子が、本件訴訟の提起・追行を弁護士に委任し、相当額の支払を約していることは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の内容、訴訟の経過、認容額その他諸般の事情を考慮すれば、本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は原告清治について金二二〇万円、亡シナ子について金一〇万円と認めるのが相当である。

九  請求原因9(亡シナ子の損害賠償請求権の相続)のうち、亡シナ子が原告ら主張の日に死亡し、相続が開始したこと、原告らの相続分がその主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

一〇  以上によれば、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、本件損害賠償請求金のうち原告清治が金二四六二万一五三一円、同土屋博治、同門田こずえが各金二七万五〇〇〇円及びこれらに対する不法行為の日である昭和五四年九月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余については理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行逸脱宣言の申立については、その必要がないものと認め、これを却下することとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹原俊一 裁判官 林 圭介 裁判官 檜皮高弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例